新年もすでに半月が過ぎてしまいました。皆さん、いかがお過ごしですか?
日本では、確かお正月気分は「成人の日」までは続いた?と思うのですが、ここフランスでは、お正月気分なんてとっくに過去のもの。少々あっけない新年で、物足りなさを感じるぐらいです。パリは、すっかりいつものパリに戻り、悪天候続きでパリジャンの顔つきは、少々うんざり疲れ気味ですが・・・。
さて、今週の話題は3件。まず、何といっても半世紀!も続いたフランス北西部、ナント近郊(ブルターニュ地方)の新飛行場建設計画が完全に放棄されたニュースからです。
フランス版成田空港建設反対運動
50年もの間、のらりくらりと決定を繰り越してきた歴代のフランス政府でしたが、この度やっと、マクロン大統領統治下のもと、新政府は決定的な結論を発表しました。ナント新飛行場の建設計画完全中止です。(何と!)
日本でも、ちょうど50年前に成田空港建設反対運動が起こり、政治問題にまで持ち上がりましたが、全く同じ運動がほぼ同時代に、フランスでもわき起こっていたのです。文字通り、フランス版成田空港建設反対運動 が、ブルターニュ地方のナント近郊ノートルダム・デ・ランド(Notre Dame des Landes)で始まったのでした。しかしながら、成田空港と大きく違う点は、凄まじい反対闘争が最後まで続けられ、とうとう最後に勝利を勝ち取ったことです。反対派のほとんどのメンバーは、当時まだ生れていなかった環境保護を訴える若者たちや、当時この地に住んでいた農民たち、もしくはその2代目の子孫たちで構成されていました。さすがレジスタンスの国、フランスです。
環境問題が大きく左右
この背景には、(50年前にはなかった)環境問題が大きく左右したと言われています。というのも、ノートルダム・デ・ランド周辺は、のどかな緑地が続く湿地帯で、数多くの野生動植物が生息し、その中には自然保護認定生物130種も生存しています。欧州最大の環境保護国としてイメージチェンジを試みるマクロン大統領の意図が見られます。一方、新空港建設による経済促進と観光客の増加を首を長く待ち望んでいたナント市民にとっては、大きな打撃となりました。まして、オランダ前大統領就任中、空港建設計画に対するローカル住民投票が実施された結果、賛成派が55%を占めていたのです。建設推進派は、「民主主義に反した決定」として、真っ向から抗議しています。
個人的には、私は空港建設反対派に賛同です。というのも、この地方の素晴らしい自然環境をみればすぐにその理由を理解していただけるでしょう。まして、すでにナント・アトランティック空港があり、しかも、他にも同地方にはレンヌ・サン・ジャック空港があります。環境保護を無視してまで、新たなに空港を建設する必要性に大きな疑問を感じるからです。
しかしながら、闘争好き?なフランス人、この問題は、今後まだまだ後を引きそうです。
うっかりチーズも食べれない!?
次は、同じブルターニュ地方で始まった事件です。昨年末からスキャンダル続きの乳製品製造会社ラクタリス(Lactalis) 社のニュースです。
これまでに、同社の粉ミルクを飲んでサルモネラ菌に感染した乳児は、国内だけで35児が確認されています。しかも、世界83ヵ国に上る国々へ輸出している世界有数の大手乳製品会社ラクタリス社、今後被害者の数は、ますます増えると予想されています。すでに、スペインで1件、ギリシャでも疑惑事例が1件見つかっています。1200万個の粉ミルクがリコール対象となり回収されました。しかし、ここまで問題が大きくなる前に、何故もっと抜本的な対処をこうじなかったのかと、被害者側は同社に対する訴訟を起こしました。
ラクタリス帝国
事件の背景には、ラクタリス社の3代目会長エマニュエル・ベニエ氏の経営方針に問題があると指摘されています。当社は、乳製品製造会社としてはネッスル社、ダノン社に次ぐ世界第3位の売り上げ率を誇る世界でも有数の乳製品会社です。しかしながら、全く不透明な経営方針の下、別名「ラクタリス帝国」と呼ばれているぐらい、ベニエ氏による独裁色の強い会社として知らています。過去にも、数々の問題を引き起こしてきた同社ですが、今日まで全くメディアを避けてきたベニエ氏、さすがにこの度のスキャンダル事件では、影の大物も表に出て釈明をせざるを得ない状況となっています。
因みに、ラクタリス社の乳製品は、もちろん粉ミルクだけではありません。チーズ、ヨーグルト、牛乳、バター、マーガリンなどなど、人々の毎日の生活に浸みこんだ食製品ばかりです。 きっと私も知らずにサルモネラ菌を食べていたのかと思と、何となくゾッとします・・・。
難民問題マクロン大統領カレー市へ
移民の少ない日本、まして難民問題なんて海の向こうの遠い外国の問題、として受け止めていらっしゃる方も多いかと思いますが、陸続きの大陸フランスに住んでいると、移民・難民問題はほとんど日常茶飯事のごとく、毎日メディアで取り上げられています。
さて、今週16日、マクロン大統領はドーバー海峡沿いの街、カレー市(Calais)へ赴き、表面化しつつある難民問題解決のための意向を示しました。
この機会を利用して、「難民問題って?」という日本の方のために、フランスの難民問題の現実について少し触れてみたいと思います。
何故カレー市に難民が集まるのか?
まず、何故カレー市なのかというと、地図を見ていただくとわかりますが、カレー市はフランスで最もイギリスに近い所。イギリスとは距離にしてほんの約35kmほどしか離れていません。天気の良い日など、遠くにそれとなく見える所にイギリスがあります。だからこそ、英仏ユーロ・トンネル開通が成功したのですが。さて、戦争や紛争、食糧難を逃れてアフリカや中近東からやってくる難民たち、彼らの最終目的地は、何を隠そう、イギリスなのです。何故なら、イギリスに彼らの家族や親戚、叔父さんや叔母さんが住んでいて、イギリスに行けば家族に会えるという希望にあふれて、彼らはカレー市に集まってくるのです。
英仏滞在許可施行の違い
加えて、イギリスではフランスと違って、一度イギリス本土の土を踏んだ移民は、移民当局に登録されますが、臨時的であっても公式な滞在許可証、すなわち労働許可証が発行されます。(但し、EU脱退決定から移民に対するこのシステムが相当厳しくなっていますが。)
一方フランスでは、「フランスでの合法的な滞在許可が出るまでは、働いてはいけない」というもの。許可が下りる、下りないかがはっきりするまでの待機期間は6ヶ月から長いケースで3年以上という難民もいます。「家もない、家族もいない、仕事もできない難民は、その間、空気を食べて命をつなげと言うようなもの」と難民支援団体は訴えています。もう1つの大きな理由は、言葉の問題です。彼らは英語はできますが、仏語は全くできません。フランス社会に馴染むのに相当時間がかかります。
歴史あるカレー市難民問題
難民たちが、カレー市に集結する歴史は、今に始まったことではありません。15年前すでに、サンガット難民支援センター(Centre de Sangatte)がサルコジ元大統領が当時内務大臣時代に封鎖されたのを機に、徐々に「カレーのジャングル」と呼ばれる、その場しのぎの難民キャンプ場が形成されました。ちょうど1年半前に、今度はカザヌーヴ前内務大臣の指揮の下、この難民キャンプ場も完全に取り壊されてしまったのです。そこで何とか生き延びてきた難民たちは、ほぼ強制的?にカレー市から遠いフランスの各地方へばらばらに移住させられたのです。
最後の通過点カレー
1年半たった今、彼らは再びカレー市へ舞い戻ってきました。イギリスへ渡るためです。彼らの目的は、イギリスなのです。信じがたい距離と難関をクリアしてやっとたどり着いた最後の通過点がカレー市なのです。命がけでやってきた彼らの決意は、そう簡単には打破することはできないでしょう。
「トラック侵入作戦」
では具体的に、彼らはどのような手段でイギリスへ渡るのでしょう?現金はもちろん、VISA、フェリーの切符、中にはパスポートさえ保持していない彼らに残された方法は、「トラック侵入作戦」です。ご存知の通り、ここカレー市とイギリスのドーバー市は、最も短距離のフェリー航路。結果、大陸からイギリスへ渡る多くの大型トラックの集合場所でもあります。難民たちは、トラックに忍び乗車をしてイギリスへ渡る覚悟なのです。難民を乗せたトラックの運転手は、たとえ故意でなくとも、警察当局に見つかれば、高額の罰金を請求されます。トラック運転手と難民との間で数多くの事件が起こるのも当然でしょう。ここを通るトラック運転手は、いつも非常に緊張しています。また、「トラック侵入作戦」が不可能な場合は、ヨーロートンネルの中を歩いて侵入し、徒歩でイギリスまで渡ろうとする難民もいました。何人かはヨーロースターに跳ねられて死亡しています。
「陸続きではない」ため、難民たちは否が応でもカレー市で足止め状況というのが現実なのです。
このような歴史と現状を考慮しながら、今回マクロン大統領はカレー市を訪問し、現実的な側面からみた解決策を立てる方針ですが、さて、どこまで成功するか、私自身としてはとても興味深いところです。
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