タイのパンガン島に暮らし始めて約1年が経ちました。バケーションで訪れていたときと、実際に住んでみて、どれだけ印象が変わったか、何か考えに変化があったか、この1年を思い返ってみます。
住めばパラダイスも簡単に地獄に代わる
自分次第である
昔、バケーションでよくこの島を訪れていたとき、最高なパラダイスを見つけたと思っていました。ジャングルに綺麗な海、バイクを運転すればすぐにどこにでも行ける絶妙な島の距離感、自由に生きる生き物、ゆったり過ごす人々。でも、住みだすと、毎日はトラブルシューティングの日々へと変化しました。住む環境が生活を180度変えると思ったら大間違い。住めば、仕事があり、犬の世話があり、近所付き合いがあり、掃除があり、警察の見回りがあり、病気になり、悩みがあり。最高の空間と思えた昔がバカみたいに変化して、毎日のルーティンに急かされる。これだけ素晴らしい環境に住んでもこうならば、どこに住んでも生活はこんなもんなんだ、とやっと大人になったように納得しました。もちろん、これからも人生の探検は続けたいし、新しいチャレンジはしていきたい。けれども、全ては自分次第であって、環境は少しの手助けしかしないのです。
仕事は仕事
特に仕事は、大きな悩みの種であることに昔と全く変わりありません。レストラン経営を始めれば、警察の見回りでいつ不当にいちゃもんつけられるかわからないし、スタッフの働きぶりが悪くチームの雰囲気が悪くなったり、労働時間が長くて体力的に疲労困憊する。そうやって毎日がんばっていても、タイでは外国人がなるべく利益を作り出さないようなシステムを作って、大量の外国人を少しでも減らそうとしているなんてこともあって、以前に想像していた生活とは全く異なるのが正直なところです。
色々なことが当たり前になった
本当は、都市派
私は、大都市に住むのが好きで、大阪、東京、バンコクとごちゃごちゃとしたところにいました。毎日混みこみの電車に乗ったり、デパートに行ったり、歩いて人にぶつかったり、そうやって都市での生活を楽しんでいたつもりです。それが、何もない東南アジアの南国の島に来ることで、新しい生活スタイルが始まりました。
バイクの運転
最初はバイクの乗り方を知りませんでした。でも、バイクを運転できないと島での自由な移動ができません。なので、最初は怖かったのですが、数か月もするといつの間にか慣れてたくさんの荷物を載せても、人を後ろに載せても運転できるようになりました。今ではバイクに乗ることで一日が始まるというほど、欠かせない交通手段になったのです。
日焼け止め
日焼け止めをつけないことが当たり前になりました。毎日サンサン照り照りの中、本来ならばお肌を守るためにもつけるべきですが、あまりに毎日なのでもうつけないで外へ出るようになりましたし、暑いので化粧もせず、そしてシャワー後のお肌のお手入れもほぼなにもすることなく、ただ汚れをシャワーで落とすだけの、ナチュラルすぎるスタイルになりました。
タイ語を話さない
以前2年間バンコクに住んでいた頃は、仕事でも生活でも必要だったタイ語を必死で覚えて、ある程度喋られるようになったのに、同じタイでも欧米人で溢れるパンガン島に来たら、恐ろしいもので2年間必死に覚えたものが一気に飛んでいきました。毎日タイ語より英語とイタリア語が必要で、しかもタイ人は英語を話す人が多いので、必要性がほとんどなくなってしまいました。必要性がないところでは、自分から積極的に話さなければ、取り戻すのは難しいですね。
友達を作るのは難しい
都市では異なる
パンガン島に来れば多くの欧米人がいて、多くの友達ができるかと楽しみにしていたら、そうでもなく、意外と自分とは異なるライフスタイルや考え方の人が多くて、なかなか仲の良い友達ができないんですね。バンコクにいる外国人の多くは、オフィスワークをしている人が多いので、生活スタイルも似ているし、仕事内容に差はあっても、オフィスで働くには違いないので、会話もよく弾む人が多かった気がします。
多様な暮らし
一方パンガン島では、朝農業をしている人、夜パーティでDJをしている人、お茶の作法を教えている人、ヨガを不定期で教えている人、借家事業をしている人。働く時間帯も違えば、働く内容も違えば、寝る時間も違えば、あまりの違いがあると、なかなか共通点を見つけるのが難しいものです。興味深いはずだけど、関係が続かない、というのが正直なところです。
今後は
この1年で多くのことを学んでいるはずですが、毎日の忙しさで自分の成長や変化がよく見えないことがあります。辛いこと、泣きたいこと、たくさんありますが、一つ一つの経験がこれからの自分を支える力に変わると思って、今後も島での生活を楽しんでいこうと思います。
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