カンヌ映画祭のアラン・ドロンの涙とは?パルム・ドール名誉賞を受けたアラン・ドロンについて

昨年、是枝監督の「万引き家族」が見事、最高賞のパルム・ドールに輝いたニュースは、日本ではまだ記憶に新しいと思いますが、今年も5月、例年通り、南フランスのリゾート地カンヌで国際映画祭が開幕されています。さて、今年のパルム・ドールは誰に輝くのか?という興奮は少し横において、今日は先日パルム・ドール名誉賞を受けたアラン・ドロンについてです。

忘れがたい飛躍の場、カンヌ

先日5月19日、パルム・ドール名誉賞を受賞するため、アラン・ドロンはカンヌにやってきました。彼が最後にこの地を訪れたのは2013年、復元映画「太陽がいっぱい」の放映の時。以来1度もカンヌ映画祭に招待されたことはありませんでした。しかし、アラン・ドロンにとってカンヌは忘れがたい地のはずです。というのも、1957年、このカンヌで彼の凛々しい体と美貌を認められて、俳優としてのキャリアが始まったのですから。カンヌは、彼にとって映画俳優として飛躍する踏み台の場だったわけです。こうして、アラン・ドロンはフランス映画界を代表する世界的な大スターとなったのですが、今日まで1度もパルム・ドールに輝いたことがありませんでした。どうしてなのでしょう?

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意外なマイナーイメージ

因みに私事で恐縮ですが、当時私がまだ日本に住んでいたころ、実はアラン・ドロンの大ファンだったのです。部屋中に彼のポスターを所狭しと貼って、毎日うっとり。動機が不純ですが、フランス語を選んだのも、彼が原因だったかも?というぐらいです。しかし、フランスに住み始めてアラン・ドロンへの夢が根底からひっくり返ることになりました。日本では、アラン・ドロンというと、仏映画界大スターを通り超えて、ほとんど神がかりみたいに見られていましたが、実は現地フランスでは、ちょっと様子が違うのです。それは、彼があまりにも気位が高く、自分は誰よりも勝った特別な人間、という印象を隠すことない人だからかもしれません。その上世間は、このように熱しやすく、挑発的で非常に自意識過剰のアラン・ドロンに、「女性蔑視」、「移民排斥」、「同性愛反対者」というレッテルさえも貼っているのも事実です。確かに、彼がテレビのインタビューに答えているのを見たりすると、なるほどと納得のいくこともありました。(現地にいてその国の言葉がわかるという事は、便利です)

以上のようなことから、アメリカのフェミニスト団体から、今回のアラン・ドロンへのパルム・ドール名誉賞授与反対の声が上がっていました。これに対して、アラン・ドロンは、「私に好意を示す、または敵意を示すのは自由だが、私の映画俳優としてのキャリア(つまり成功)を打ち消すことはできない」ときっぱりと言い切り、またしてもその自負的で横柄な態度に拍車がかかりました。

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聖なる怪物

フランス語でLe monstre sacré 「聖なる怪物」という表現があります。アラン・ドロンという人は、まさしくこの「聖なる怪物」なのかもしれません。彼の今日までたどってきた俳優としての華々しい歴史と功績の裏に、「怪物」のごとき性質があったことを認めないわけにはいきません。ですが、カンヌ国際映画祭は映画の世界です。あくまでも、映画への貢献という見解からアラン・ドロンという人を見る時、十分にパルム・ドール名誉賞としての価値のある俳優ではないでしょうか?例えば、日本ではそれほど知られていない?彼の主演映画 « Monsieur Klein » (邦題「パリの灯は遠く」)などは、彼の主演映画の中では最高傑作の作品だと私は思います。また、もうひとつ私の忘れられない映画、彼が仏女優シモーヌ・シニョレと共演した « La veuve couderc »(邦題「帰らざる夜明け」)のアラン・ドロンの演技などは、2枚目スターを通り超えた何とも深みのある性格俳優だと思います。もちろん、あまりにも有名な「太陽がいっぱい」や「冒険者たち」、「サムライ」などという映画の中の彼は、様々な違った顔をもつ俳優として、すでに性格俳優の域に達していたことは間違いないでしょう。

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鬼の目に涙

さて、この度のカンヌ国際映画祭、パルム・ドール名誉賞授与式の様子がテレビで紹介されました。この時のアラン・ドロン、いつもの堂々とした自信満々のアラン・ドロンは全く消えて、とても顕著で控えめな、いつもとは違った穏やかなアラン・ドロンでした。83歳にしてやっと手にしたパルム・ドール。彼の俳優生活60年という長いキャリア、90本以上を超える出演数などを称えたパルム・ドール名誉賞です。授与式には、彼の実の娘アヌーシュカ嬢が立ち会いました。彼女の手から直に手渡されたパルム・ドール名誉賞を受け取ったアラン・ドロン、以下のようなメッセージを伝えました。

「私は、難しいことが何なのか承知しています。それは、立ち去ることです。何故なら、私はいつか去っていくでしょう。しかし、私は皆さんに感謝の言葉の残さずに立ち去ることはできません。私は、可能な限りを尽くして俳優としての仕事に就いてきました。私はスターなのかもしれません。しかし、これは他の誰でもない、あなたたち観衆の皆様のおかげです。」

このように言って涙を流したアラン・ドロン。まさしく、「鬼の目に涙」の一瞬でした。

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