中国での妊娠生活と出産!③出産現場

中国、北京在住です。ここ北京で妊娠し、先日息子を出産しました。私は中国語がしゃべれないので言語がわからない中での妊娠や出産にはストレスも多かったですが、それでも日本ではできないような貴重な経験ができたと思っています。ここでは、出産の経験についてお話しします。

病院への行き方

 出産の時はどのタイミングで病院に行くのか

妊娠後期にもなると、いざ陣痛等が起こったときにどのタイミングで病院に行かなければいけないのか、ということが気になり始めますよね。私がインターネットで調べた限りでは、少なくとも日本では、陣痛が10分間隔や15分間隔になったら病院に連絡を取り、入院の許可を求める、という場合が多いようです。

しかし私が通っていた北京のインターナショナルの病院では、陣痛が5分間隔になったら病院に来るようにとの事でした。誰に聞いても「初産は時間がかかる」「陣痛が5分間隔になってから家を出れば十分」と言われ、日本よりも遅いけれど、これが中国流なのかな?と思っていたのです。

 私たちの居住環境

しかし、私には「陣痛が5分間隔になってから家を出る」ことには大きな不安がありました。私たちは夫の仕事の都合により、とある大学のキャンパス内に住んでいます。階段しかないアパートの5階に住んでおり、アパートから大学の正門までは臨月の私の足で10分強かかりました。つまり、陣痛が起こって病院に行く時、私は5階から階段を降り、そこから正門まで歩かなければいけない可能性があったのです。

さらに私たちは車を持たないため、そこからタクシーを捕まえるという点にも大きな不安がありました。国民の98%がスマホを持つというここ中国では、路上でタクシーを捕まえる際はアプリでタクシーを呼ぶということが一般的です。その一方で、路上で手を挙げてタクシーを捕まえた方がアプリでタクシーを呼ぶよりも早いケースが多いということもあり、私たちはそのアプリを使ったことがありません。実際にアプリを使ってもなかなかタクシーが捕まらないことだってあるのです。

また、大学の正門から病院まではタクシーで40分から50分ほどかかるため、陣痛が5分間隔になってからアパートを降り、正門に行き、そこからタクシーを捕まえる際、万が一タクシーが捕まらなかったらどうしよう、タクシーを待っている間に、あるいはタクシーに乗っている間に陣痛が来たらつらいだろうな、万が一タクシーの中で破水や出血などが起こったらどうしよう、などと不安がいっぱいでした。幸い、夫が教えている学生の中には「何かあったらいつでも連絡してください」と言ってくれる人も多かったので、いざとなったら学生の助けを借りるつもりでした。また、実家の母からは「陣痛が15分になったら病院に『5分になった!』とでも言い、さっさと家を出なさい!」と言われていました。

 40週4日の夜に破水

そのような事情により、私は予定日が近付くにつれて無事に病院に行けるのかどうかが何よりも不安になっていました。予定日前になると私よりも周りがそわそわし、陣痛はどうだの、出産はどうだの、と励ましてくれたのですが、正直、私は無事に病院に行けるかどうかということが何よりも心配で、病院に着いたら陣痛も出産も何とかなる、病院に行きさえすれば安心できる、と思っていました。むしろ、自分が心配してもいない陣痛や出産について周りから「心配いらないよ」「大丈夫だよ」などと言われると、逆に「うるさい!」と鬱陶しく感じてしまったものです。毎日不安で涙が出ました。

しかし、私のそのような心配を知ってか知らずか、息子は1番安心な方法で出産のタイミングを教えてくれました。40週4日の夜、破水をしたのです。破水したと分かった瞬間、「これで病院に行ける!」「これで最難関を突破した!」と安心しました!一般的に破水をしたら、どんどん羊水が出てきてしまうため動いてはいけないと言われます。しかし、私の場合は風船のように一気に羊水が出てくるようなものではなく、少しずつ染み出してくるものだったため、トイレに行っている間に病院には夫に連絡をしてもらい、入院用の荷物をチェックし…など、冷静に行動することができました。

また、北京に住むドイツ出身の夫の友人が「可能な限り自分が車を出す」と言ってくれていたため、夫が即座に連絡を取ってくれました。彼はすぐ私たちが住む大学のまで来てくれることになり、幸い、私はまだ陣痛が始まる前に病院に行くことができたのです。

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無痛分娩

 陣痛が始まるまで

病院に着き、陣痛分娩室に案内された時、既に夜の9時を過ぎていました。陣痛分娩室はテレビやシャワー、付き添いの人が眠れるようなベッドも完備されており、まるでホテルの一室のようでした。

私はまだ陣痛が来ておらず、その時点で子宮口が全然開いていなかったため、医師から12時間経っても陣痛が来なかったら促進剤を使おうと言われました。陣痛が始まったのは、それから1時間ぐらい経った後だったかと思います。待ちに待った陣痛がやっと来たと思い、スマホにダウンロードしていた陣痛の間隔を測るアプリを出し、陣痛が来るたびに立ち上がったりして少し喜びさえ感じながら痛みを逃していました。しかし、測るたびに間隔がどんどん短くなり、陣痛の痛みも増し、夜の1時を過ぎる頃には陣痛の間隔は5分を切ったのです。夫が助産師さんを呼び、私には胎児の心拍を測るための器具が付けられました。

 無痛分娩の選択

午前5時、陣痛の感覚を測る余裕もないほどに痛みに耐えたのにも関わらず、まだ子宮口は1cmしか開いていないと言われました。その日に生まれるかもしれないし、長引けば翌日になる可能性もあると言われ、その時点での陣痛の痛みから絶望的な気持ちになった記憶があります。しかし、あまりにも強い痛みで私が動いてしまい、胎児の心拍が測れないこと、出血が多いことから助産師より無痛分娩を勧められました。

日本ではまだあまり一般的ではない無痛分娩ですが、中国に限らず、海外では無痛分娩が比較よく使われるようです。私は話を聞いた時からなんとなく無痛分娩に抵抗があり、それは使いたくないと思っていました。しかし、先ほど述べたように胎児の心拍が測れる状態ではなかったこと、出血が多かったこと、さらに私は里帰りをしているわけでもなく、家族が中国に助けに来られる状態でもないため、退院した後は夫と2人きりで子供の面倒を見ながら生活をしていかなければならない状態でであったため、ここで体力を失うわけにはいかないと感じ、無痛分娩を決断しました。

その後、すぐに助産師さんより点滴、そして麻酔科の医師より背骨の脊髄に麻酔薬を注入してもらったことにより、痛みが引いていきました。実際は無痛分娩を決断した時はこれでこの痛みから逃れられると思ったため、麻酔薬が注入されるまでの時間がものすごく長く感じたものです。

 無痛分娩でも痛い!

その後少し睡眠を取り、朝食を食べた後も痛みは感じませんでしたが、午後1時頃でしょうか、無痛分娩のおかげで今まで感じていなかったはずなのに、徐々に痛みを感じるようになっていました。その時点で子宮口が5cm開いていましたが、12時間かかってやっと半分開いたということで、10cmになるまでに12時間かかったらどうしよう、ととても不安でした。

その後2時間ほどで子宮口が10cmまでに開いたのですが、5cm開いたと言われた頃から陣痛の痛みは徐々に増し、実はその頃から子宮口が開くまでの2時間の間、殆ど記憶がありません。その頃、逆子ではないのですが、本来は下を向いて生まれてくる胎児が上を向いてしまっているということで、胎児の頭の向きを直すために私はベッドの上で姿勢を固定されていました。そのために動くこともできず、最初の1時間は時計の針を見ながら悲鳴を上げていた覚えだけはあるのですが、その後の1時間は記憶がありません。無痛分娩でも子宮口が開きるまでの後半はかなり痛いのだと実感しました。むしろ、無痛分娩を経験せずに出産する女性はすごいなと感じたものです。

この辺は少々記憶が曖昧なのでもしかしたら事実と多少異なるかもしれませんが、その後、麻酔科の医師が麻酔を足したようです。子宮口が10cm開き、産婦人科の主治医や小児科の医師、助産師たちが集まり、後は赤ちゃんを押し出すだけだとなった時には再度痛みが引きました。その後45分かかり、40週5日で長男が生まれてきてくれました。

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言語の問題

 陣痛分娩室に飛び交う言語

もう一つ、言語について触れておきたいと思います。中国にあるインターナショナルの病院ということで、多くの医師や看護師、助産師は英語を話しますが、中には英語が話せない助産師もいました。しかし、やはり命を直接使う現場だからなのか、英語が話せない助産師は、英語が話せる助産師に通訳をお願いしたり、携帯のアプリを使って翻訳してくれたりなどと配慮してもらい、とてもありがたかったです。

しかし、陣痛が起こっている最中は陣痛分娩室の中を中国語と英語が飛び交い、英語さえも陣痛の痛みに耐えている私にとってはただの外国語でした。また、私は産婦人科の主治医がフランス人であり、主治医は英語が辿々しいこと、そして夫がフランス語を話せることから、主治医と夫はフランス語で話をしていました。そのため、陣痛分娩室の中では中国語と英語、そしてフランス語が飛び交っていたのです。特に主治医が中国人の助産師に”Give me a… thing!(ええと、それ取って!)”と言った時には妙に冷静に「そんな指示の出し方で大丈夫か?」と思ったものです。

 私は日本語!

そんな中、私は遠慮なく日本語で叫んでいた記憶があります。もちろん私が日本語で何かを話しても、夫を含め誰も理解はしてくれないのですが、その時点では私にとっては日本語が唯一の言語でした。

海外での妊娠と出産はやはり言語が鍵だと思います。たとえ自分が話せても相手が同レベルの共通語(私たちの場合は英語)を話せるとは限らないため、どうしてもストレスが溜まりますし、特に陣痛が起こっている最中はそんな事まで気にはしていられません。

外国で出産を経験するならば、誰よりもパートナーが頼りになります。たとえパートナーとの共通語が母国語ではなかったとしても、パートナーとの絆が強ければなんとか乗り切ることができます。また奥さんが異国で出産するという男性には、ぜひ主体的に動いて欲しいと思います。

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外国での出生届について

海外で子供が生まれたら、その国の日本国大使館に出生届を提出しなければいけません。私は夫がドイツ出身なので、日本とドイツの両方の大使館に長男の出生届を提出しました。少なくとも、北京にある在中国日本国大使館ではそこまで複雑な手続きもなく、事前に準備したこともあり、さっさと出生届を提出することができました。

特に出産を終えた女性には出生届の出し方などを調べる余裕はありませんので、日本に限らずどこの国であっても、もしも女性が海外で出産をするならば、出産前に出生届の出し方を調べておくことをお勧めします。特に私がお世話になった在中国日本国大使館はとても丁寧で、電話にて話を聞いた際、実際に出生届を提出する時は私ではなく、日本語が話せない夫が大使館に行くと話したところ、出生届などを記入して大使館に持参するようにと言われ、事前にチェックしてもらうことができました。また、長男が生まれた後はもう一度きちんと記入し直し、大使館にそのスキャンをメールで送り、最終チェックをしてもらいました。おかげで、夫が大使館に行った際は何の問題もなく出生届を受理してもらうことができました。

大使館を通じて出生届が受理された場合、戸籍謄本に子供の名前が登録されるまで1ヵ月ほどかかります。そのため、中には出生届を日本の家族に郵送し、代理で地元の市町村役場に提出してもらうという人もいるようです。しかし、私が出産したここ中国では、中国ならではの手続きを経る必要があったため、大使館から「地元の市町村役場に提出せず、できるだけ大使館を通じて提出してください」と言われました。ですから、もし日本の家族に出生届を提出してもらう予定であったとしても、一度大使館に確認することをお勧めします。

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