かつて、アメリカと中国の大学生に原爆について講義をしたことがあります。アメリカと言えば原爆を投下した国であり、中国と言えばいまだに南京大虐殺や従軍慰安婦など、日中間で解決していかなければいけない政治的な問題を抱えている国です。ここでは、そのような学生に原爆について話をしたところ、どのような反応を得られたのかということについて紹介していきます。ただし、このような問題は一般化できる問題ではないため、あくまでも私の経験と私が受けた印象から話をしていきますので、必ずしもこう考える人ばかりではないということをご了承ください。
アメリカの学生の原爆に対する反応とは
「原爆が戦争を終わらせた」とは思っていない
まず、アメリカの学生たちと話をしていて気づいたのは、今の大学生たちは必ずしも「原爆が戦争を終わらせた」とは思っていないということでした。というのは、一昔前までは「原爆が投下されたために日本が無条件降伏をした」という考え方が一般的であり、アメリカにおいても原爆が正当化されていたのです。日本人も、アメリカ人は未だにこのように考えている、と思っている人が多いのではないでしょうか。
確かに、原爆が投下されて壊滅的な被害を受けたという事は日本の降伏に少なからず何らかの影響を及ぼしているといえます。しかし、ロシアが侵攻した、日本の降伏は時間の問題だったなどということを踏まえると、必ずしも原爆が戦争を終わらせたとは限らないのです。アメリカの学生たちもロシアの動きや日本が敗戦状態だったということを理解し、必ずしも原爆が必要だったとは限らない、原爆は正当化されるべきものではない、ということを理解しているようでした。
原爆における被害に関心を持っている
日本人が原爆を特別視するのは、やはりその原爆がもたらした大きな被害があるからではないかと思います。私の祖父は広島の被爆者ですが、特に母や伯母は被爆者2世ということで小さな頃にいじめられたこともあるそうです。祖父は既に他界していますが、幸いにも原爆の後遺症が出ることはありませんでした。しかし広島や長崎で被爆した人の中には白血病などを患い、さらに私の母や伯母のように被爆者に生として嫌がらせを受けたという人もたくさんいるのです。
アメリカの学生たちもこのようなことに関心を持っていました。唯一原爆を武器として投下された国家の人間として、日本人は他のどの国の人よりも被爆の恐ろしさを知っていると思います。アメリカの学生たちもアメリカが投下した原爆にどのような影響力があったのか、人々はどのような病気にかかったのか、ということに関心を持っていました。実際、原爆を投下した当初のアメリカはここまで放射能について知識がなかったと考えられています。しかし、「ここまで大きな被害をもたらすことを考えるならば、やはり原爆が投下されるべきではなかった」と述べた学生もおり、それはそれで喜ばしいと思いました。
中国の学生の原爆に対する反応とは
「日本人だって!」と怒り出したりしない
中国では2回、原爆に対する講義をしたことがあります。私が教えた大学は中国の中でもレベルが高く、国際関係やジャーナリズムに関心を持つ学生たちがその中の大半を占めていました。しかし、中国と言えばやはり日本と複雑な関係を抱える国ですし、日本側が日本の受けた被害ばかりを主張すれば、やはり彼らにとっては「南京大虐殺はどうなのか」「日本だって加害行為を働いたではないか」と感じるのではないかと考えていました。今までの学会でも原爆における死傷者数を言及した際には「日本側の南京大虐殺に対する推定死傷者数が少なすぎる」などという指摘をされた経験もあります。
そのため、中国で原爆について話をするときには「何か意見があるときにはその場で教えてほしい」「どちらが悪いということではなく、ここでは学術的に原爆について話をしたい」という説明をするようにしていました。幸い、私が教えた学生たちは「そんなことをいうなら日本だって」などという事はなく、冷静に原爆について話を聞いてくれたように思います。むしろ、特に原爆が被爆者にもたらした放射能の影響について話したときには心を痛め、「日本も大変だったんだろう」と話してくれる学生もいました。
中国にとってタブーな問題は1989年の天安門事件
日中関係を考えると、どうしても南京大虐殺や従軍慰安婦は非常に重要な問題になります。確かに南京大虐殺が起こった12月には、大学の中でも南京大虐殺がどのようなものがあったのか理解を深めようとする活動がなされていました。しかし、いざ原爆について話をし終わった後で中国における歴史教育を聞いてみると、それよりも繊細な問題は1989年の天安門事件との事でした。
記憶にある人もいるかもしれませんが、天安門事件というのは北京の天安門に人々が集まり、民主化を求めるデモが行われ、軍隊が出動した事件を指しています。これに関しては教科書でもほとんど教えられることがなく、むしろ多くの学生か天安門事件については教えられていない、口に出すべきものではない、ということでした。日本が「中国の歴史教育」などと聞くと、どうしても第二次世界大戦を思い浮かべてしまいますが、中国における「中国の歴史教育」では第二次世界大戦よりもむしろ天安門事件の方が繊細な問題になっているようです。
海外の人と話をするときには言葉の選択に注意が必要
原爆など、繊細な話題に関して外国の人と話をするときには、特に言葉を正しく選択しなければなりません。日本人が日本人として原爆を捉えると同様に、外国人は外国人として原爆を捉えますし、戦争の話となればそこに主観的な感情が入るのは当然です。もしもお互いに自分たちの経験を共有したいと思うのであれば、相手の感情を理解した上で話をする、相手の意見を聞き入れる姿勢を持つ、ということが大切なのではないでしょうか。
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