イタリア人の彼と付き合って約2年。元々イタリアに興味があった私は16歳のときからイタリアに魅せられてきたのですが、付き合ってみると、好きなだけではやってられないことがたくさん出てきました。色んな面でお互いを受け入れ合っていかなければなりませんが、一つどうしても我慢できない面があります。それがお金に対する感覚の違いです。
将来に向けたお金
日本人的な感覚
お金に対する感覚は国籍よりも人それぞれというのが正しいかもしれません。でも傾向で見ると、やはり日本人は貯金をよくする国民です。私もその一人で、一瞬の快楽よりは少し我慢してでも「将来のため」と、お金を貯めるタイプです。でも、この「将来のため」っていったい何なのでしょうか。多くの日本人が考える、「将来のため」とは、結婚式を挙げるため、子供の教育のため、家族旅行に行くため、家を買うため、仕事を辞めた後に老後を楽しむため、などの理由が圧倒的に多いと思います。世界の中でも長寿の日本、さすが日本人の考える人生設計らしいものです。ただ、この人生設計は、他の国籍の人たちにも通じるかというとそうではない。私の彼も例外ではありません。
イタリア人的な感覚
私の彼にとって、「将来のため」はほとんど意味を持たないと言っても過言ではありません。将来って何?明日もちゃんと生きているかわからないのに、10年後20年後のことなんて考えられるわけがないじゃない、という感覚。これは国籍ではなく、きっと日本人であっても若ければ若いほどそのような考えが多いと思います。でも、イタリア人はもっと現在に焦点を当てる人が多いのは確かです。今、この瞬間が楽しい、今、この瞬間にこれがしたいからお金を使っても気にしない。こういう感覚って、前向きに生きるにはすごくいい感覚だと思います。でも、お金に対していつもこの感覚だと、将来だけでなく、明日もない、私はどうしてもそう思ってしまいます。子供がほしいとか、この車がほしいとか、色々夢を言ってきますが、普段我慢することもないのに、無理だろう。。。と私は心の中で思います。でも彼にとっては、願いが実現するかどうかと、今お金を使って楽しむこととは繋がりのないものなのです。
チップをあげる
日本人的な感覚
日本人の感覚にほとんどないものが、チップをあげる文化ですね。海外旅行をすると、慣れない文化、毎度の計算に面倒くさいと思われる方も多いと思います。私は個人的にとても苦手です。正直言って、ケチな性格なのもあると思いますが、決められた価格にすべてのサービスが含められていると考える日本で育った私は、なかなかその概念を変えることができずにいます。
イタリア人的な感覚
一方、イタリアではアメリカほどどこでもチップを渡さなければならないような厳しいものではありませんが、レストランでとても良いサービスを受けたとか、物乞いがいたときは、よくお金を渡す人がいます。そして、またしても私の彼も例外ではありません。彼にとって、どこの国にいても構いません。決めるのは、彼の心。滞在している国にチップの文化がないとしても、彼がチップをあげたいと思えば、そしていくらか小銭をあげたいと思う物乞いがいれば、彼はすかさずお金を渡します。私は、裕福であれば彼に何も言いません。でも、彼はお金がなくて困っているのです。なので、ある日私は彼に、「もうちょっと自分自身の状況を優先してもいいんじゃない?」というようなことを言ったことがあります。彼の答えは、「その人のおかげでその日、その瞬間が良い時になったなら、こうして感謝の気持ちを渡すのは当然のことだと思う。この世はお金持ちと貧乏が存在するアンフェアな世界なんだから、家もなく困っている人にお金をあげるのはいいことだよ。お返しを期待するわけではないけど、こうやって徳を積むといつかいいことが起きるかもしれないしね。」んー言いたいことはわかるし、素晴らしい考えだと思う。感心します。彼一人だけの人生ならいい。でも今こうして、共に生きようとしている人がいるなら、もうちょっと自我があってもいいのではないかと、堅い頭の私は思ってしまいます。
違いを楽しむ
お金と人生を切り離せない社会に生まれてしまった以上、なかなかその感覚を変えるのは難しいものです。特に、お金を貯めて、大きな家を買って、家族を養って、老後を悠々自適に過ごしている人が人生の成功者とされる資本主義の日本では、それ以外の概念を持つことさえ思い浮かばない人もいると思います。だけど、この世はそれだけじゃないと、イタリア人的感覚から学びます。どちらが良い悪いかは、まだ正直わかりません。だけど、こうやって、違いを尊敬し合って、文化の異なる人たちとも生きていければいいなと心から願っています。
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