LGBTという言葉を聞いたことがあるでしょうか。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字であり、それぞれ女性同性愛者、男性同性愛者、両性愛者、精神的な性と生物学的な性が一致していない人々、を指します。
日本ではまだまだ一般的ではありませんが、タイはこのような人々にとって天国だと思います。社会が個人的な特徴に優しく、実際に私の妻の姪はアメリカ人女性と結婚していますし、家族もそれを受け入れています。つまり彼女はLGBTのLに当たるということになります。
これがタイという国です。もしこれが日本人の家族だったらまず考えられないですよね。私も最初はカルチャーショックでしたが、今では慣れてきて普通に受け入れられるようになりました。逆になんて日本は窮屈なんだろうと思うようにもなりました。ここではそんなタイの人間ドラマについて紹介します。
同性カップルにも役割がある
女性タイプと男性タイプ
女性といえば女性らしい女性もいれば、ボーイッシュな女性もいますよね。私の周りにはボーイッシュな女性が少なくありませんが、中には浮気性の人もいます。女性同士のカップルにはあくまでも女性同士、というカップルもいますが、女性役の女性と男性役の女性がいる場合があります。
浮気性・バタフライのタイプ
しかし、中にはパートナーを裏切り、浮気してしまう人もいます。浮気というのは男性と女性のカップルにのみ起こるものではありません。女性同士、男性同士のカップルにも起こります。
私の妻はタイ人ですが、彼女の友人が妻に相談していたことがあります。なんでも彼女は女性タイプのLですが、彼女の男性タイプのパートナーが浮気をして困るということで、電話口で泣いていたようです。
Gの人はとても繊細
一般的に優しい
こちらでは、このような人々はカトゥーイと呼ばれます。日本ではオカマ、おねえ、と呼ばれる人たちですね。彼らは一般的に人に優しく、繊細であるといった印象があります。
そしてこのような人たちの方が仕事に就きやすい一面もあり、そのためにGになるという人もいるようです。タイでは男性は一般的に頼りなく、あまり仕事をしないと考えられていますが、逆に仕事をバリバリする少数の男性エリートがこの国を支えていると言っても過言ではありません。
Gなら仕事がある
このような社会の中で、エリートではない男性は仕事に就きにくい傾向があります。そのため、ちょっとしたきっかけでいわゆる「オカマ」になり、仕事を得るというケースも少なからず存在するそうです。
この国では偏見がありませんから、むしろこのような人々には美容業界や衣類業界など、活躍できる場がたくさんあるのです。そういった人たちの方がかえって職を得やすいという皮肉な状況が基盤となり、もともと美意識の高い男性たちが自然とそちらに傾いてしまうのです。つまり、社会的な傾向が人々を変えていくのです。
KingとQueen!
Bはバイセクシュアルだけではない
先ほど、Bというのはバイセクシャルであり、男性女性両方に興味がある人々を指すと述べましたが、実はこの国にはボートという人々が存在します。それは女性、ゲイキング、ゲイクイーンの誰とでも付き合うことができる男性を指し、いわゆるオカマは含みません。ゲイキングとは男性が好きな男らしいゲイ、ゲイクイーンとは男性が好きな女らしいゲイを指します。なかなか複雑ですよね。
妻がいうには、ゲイクイーンは話をしていても心地よく、安全ですが、ゲイキングは大変危険との事でした。なんでも、目を見ればわかるとのことです。私には全然わかりませんが、そのような目つきでもしているのでしょうか。
体の性も簡単に変えられる
心と体の不一致で悩む人は少ない
日本では性同一性障害などと言われますが、この国にはそのような人はあまりいないのではないかと思います。なぜならば、タイでは比較的簡単に体の性も変えられてしまうのです。
例えば、私と妻は以前、バンコクの東側に隣接するチョンブリ県のホテルによく泊まっていました。妻の実家に近く、ホテルの食事が美味しいのです。しかし、たまに普通のホテルとは何かが違うと感じることがありました。例えば外国人が多く国際色豊かなのはそれほど珍しくないのですが、男性なのか女性なのかよくわからない人がとても多いことがあったのです。
さらにホテルにはレストランやロビー、様々な場所に椅子があるのですが、椅子には円形で真ん中に穴が開いたような特殊なクッションが置かれていることがたくさんありました。とにかくその数が多いという事が気になり、その理由を妻に聞いたところ、ホテルの近くでレディーボーイの世界大会があったり、近くに性転換を行うクリニックがたくさんあるから、と言われました。色々と納得しました。
個性に寛容なタイの社会
いかがでしょうか。こんな感じですから、タイにいるとLGBTの天国ならではの様々な話題に事欠きません。そんな背景には、個性に寛容な社会があるということを忘れてはならないと思います。
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