パリのシンボルのひとつ、ノートルダム大聖堂の大火災から早や1ヶ月以上が過ぎました。日本でも、この時の様子はテレビで報道されていたと思いますが、日本だけではなく、世界中の目がこの日、テレビの画面にかじりついていたのではないでしょうか。
心理的ショック
さて、大災害を受けたノートルダム大聖堂ですが、災害に遭った部分というのは、木造でできた内部と屋根の部分のみ。石造りの部分、つまり正面と周りの壁面はそのまま残っていますので、ノートルダム大聖堂を目の当たりにして見上げる限りでは、それほど違和感はありません。しかし、横から眺めた時のショックは大きいです。ノートルダム大聖堂のシンボルともいえる尖塔と、それを囲んでいた薄緑色の屋根が消え失せてぽっかり穴が空いたようになっています。何となく、尻切れトンボのような感じです。パリに長く住んだことのある私にとって、この違いは心理的に大きなショックです。ノートルダム大聖堂がパリの中心地にあって、彼女(因みにノートルダム大聖堂は女性名詞です)がいつもそこに整然と居たことにいつも親しんできた人なら、この違いの衝撃はなかなか表現しきれないものがあると思います。例えば、東京タワーが突然消滅した、と想像してみてください。いつもそこにあって、親近感をもって眺めていた絵が、忽然と一瞬の内に消え失せてしまう、これって例えようのない違和感と悲しみを伴います。ツインタワーが崩れ落ちた後のニューヨーカーたちの心情がよくわかりました。
後を絶たない独創的な再建計画
マクロン大統領が、5年後にノートルダム大聖堂を再建する決意を公言したのはいいのですが、現実問題そんなことができるのでしょうか?正直なところ、私は悲観的です。5年という歳月の裏には、2024年に予定されているパリ・オリンピック大会を考慮してのことでしょうが、そのためにバタバタと急いで再建することに私だけはなくフランス国民も、少なからずの疑問を抱いています。
さて、せっかちな?フランス人、ノートルダム大聖堂大火災の翌日にはすでに、様々な想像を絶するプロジェクトが次々と提案されました。中でも独創的なのを5点ほど紹介すると・・・。
- 屋根全体をステンドグラスにする。
- 屋上にガラス張りテラスを作り、一般公開する。
- 尖塔と屋根全体部を残像ライトアップする。(ツインタワーと同じ方法)
- 屋上プールにする。
- 緑の屋上回廊にし、環境保全を助成する。
とまあ、フランスにしてフランス人らしい革新的な考案です。つまり、ただ単に過去のままの姿を再現するのではなく、フランスの文化と歴史並びに美的感覚を損なうことなく現代風に造り直すというわけです。しかし、マクロン大統領がノートルダム大聖堂再建のためのコンクールを開き、フランス国内に限らず、世界各国の建築家たちへその門戸を開口すると提唱してからというもの、上記以外にも様々な、中にはとんでもない?プロジェクトが飛び交っています。それを案じてか、フランスカトリック教会を初め、伝統を重んじるフランス国民の間からは、あくまで以前と全く変わりのない素材や建築で、過去と同一のノートルダム大聖堂の再建を呼びかける声も上がっています。とにかく、革新派と伝統派の間で、これまた喧々諤々の意見が飛び交っているのです。
さて、再建予算は・・・?
大火災の後すぐに、およそ9億ユーロ(約110億円)に近い寄付金が瞬く間に集められたました。(凄い!)しかし、これらの寄付金はあくまでも寄付約束の数字に過ぎません。現在までのところ、実際に集まった金額は7千100万ユーロだけ。期待した9億ユーロからはほど遠い数字です。この背後には、約束寄付金の半額以上を占める大企業からの援助寄付金約6億ユーロが宙に浮いているのが理由です。
どちらにしても、ノートルダム大聖堂は現在完全立ち入り禁止です。いつ何時、壁面が崩れ落ちるかもしれない上に、火災原因がまだはっきりと解明されていない現在、何も手を付けられない状態なのです。これでは、再建にかかる見積り額を出そうにも、全く見通しがつかないわけです。これに伴い、これから集まるであろう寄付金をどこまで続けるのかという課題が持ち上がっています。約束の寄付金額9億ユーロで打ち切るか、または、約束だけの寄付金では頼りないので、このまま寄付金斡旋を続行すべきか、というふたつの議論が出て、これまた、喧々諤々の世界です。マクロン大統領が息巻いた5年後再建というイメージは遠い夢?のような気がします。
人間愛のシンボル
個人的な話しになりますが、私がパリに住んでいたころ、よくノートルダム大聖堂のすぐ横の公園を散歩したり、ベンチに座って壮大な美しいノートルダム大聖堂を見上げながら、固いバゲット・サンドをかじったりしたものです。そういう意味でも、ノートルダム大聖堂は私の脳裏に親しみ深いイメージと思い出が残っています。また、ノートルダム大聖堂は、カトリック教という宗教の世界だけでなく、もうひとつの顔を備えていることを忘れてはいけないでしょう。それは、かのあまりにも有名な大文豪、ヴィクトル・ユーゴーの「ノートルダム・ド・パリ」です。ノートルダム大聖堂はヒロインのエスメラルダや、彼女を慕ったせむし男カジモドの世界、庶民の世界を代表しています。ノートルダム大聖堂が、宗教性を超えたユニヴァーサルな人間愛のシンボルとしての舞台だからこそ、この度の大火災はフランスにとって、また、世界にとって大きな悲劇だったと私は確信しています。
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