中東はなぜ紛争ばかりなのか?歴史、宗教、民族が異なる複雑な事情

紛争が多く、日本では危ない地域と思われている中東。ただ、そこには様々な歴史や宗教の入り混じっているのです。今回はそんな中東の歴史や宗教について、あくまで私の視点となりますが、紹介させて頂きます。

中東とは

中東は日本から遠く、飛行機で12時間近くかかる場所にあります。12時間というと、欧米に匹敵する距離や飛行時間なのですが、欧米と比べても中近東は比較的遠いというイメージを持つ人が多いです。

 ドーハの悲劇

今では、エミレーツ航空、カタール航空、エティハド航空が比較的安い金額を打ち出していることもあり、中東を経由してヨーロッパに行く乗客も増えました。しかし、あくまで経由の為であり、実際に中東の街に出るという人は意外と少ないのです。
ドバイには世界一高いタワー・ブルジュカリーファが存在しますが、私が好きなドーハ(カタール)にはそうした”世界一の何か”は存在しません。日本人にとって有名な場所は、”ドーハの悲劇”ぐらいしかないでしょう。

 どうして中東と呼ばれるのか

中東と呼ばれる所以は、大英帝国時代に遡ります。かつて、大英帝国時代にアジアで中心とされていたのはインドでした。1857年に起こったイギリス植民地に対する抵抗運動「セポイの反乱」。その主役とも呼ばれる企業は、東インド会社でした。「東インド会社」の名前で分かる通り、インドはイギリスからみて東にありました。日本などは極東。そのインドとイギリスの中間にあることから、”中東”という呼び名がつきました。

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ペルシャとアラブ

中東といっても、そのエリアはあまりに広い範囲をさしています。これが今日の私たちにとって中東が「遠い存在」「危ないエリア」というイメージを持つ要因になっているでしょう。中東といっても、存在する宗教や宗派は異なります。イスラム教の中にも、スンニ派、シーア派という宗派があります。さらに現在 内戦中のシリアのアサド大統領はシーア派のさらに少数のアラウィ派です。

 イランとサウジアラビア

中東は大きくはアラブとペルシャに分けられます。イランとサウジアラビアをとっても、同一民族ではないのです。イランがペルシャ人であり、サウジアラビアがアラブ人です。イランは栄華を誇ったペルジア文明の国であり、アラブ人は遊牧民族でした。アジアでいう中国とモンゴル(遊牧民族)のような構図です。その為イラン人は中東諸国の中でも自負が強く、アラブ人を下にみる傾向があります。
一方サウジアラビアは国内にイスラムの聖地メッカ、メディナがあることから、サウジアラビアこそが中心であるという自負があります。イランとサウジアラビアの両国の関係は、歴史的構造からしても対立しています。

 イラン革命の余波

もちろんイランはシーア派で、サウジアラビアはスンニ派が大多数です。宗派もはっきりわかれています。サウジアラビアがイランと対立する背景は、1979年のイラン革命以降、サウジアラビアは革命が飛火してくることを恐れ対立しています。イラン革命はもとより、王様を追放(追い出し)することによって現在のイスラム体制を発足しました。その為民衆が立ち上がって王様を追放する運動が、イランから中東全体に広がるのは厄介で、サウジアラビアはそれを避けたい狙いがあります。もとよりイランの存在がサウジアラビアにとって脅威なのです。

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紛争の本質

日本ではおなじみの中東紛争。「スンニ派とシーア派が…」とした見出しで宗教観対立と報道していますが、イラクのサダム・フセイン政権時、支配階層のスンニ派、被支配階層のシーア派の間で結婚する事例が数多くあったことから、本質的なところは、宗教よりも権力、利権、領土、資源の争いに起因します。イラン・イラク戦争も宗教間の対立ではなく、シャトル・アラブ川の領有権問題、さらにはイラン革命のイラク国内へ影響するのを食い止めるべく行った防衛戦争でもありました。イラン側は、防衛戦争という名目で領土侵入を行ったイラクへの報復という見方もあります。

 スンニ派とシーア派

スンニ派:ムハンマド以来の慣行(スンナ)を重視。 アリーの死後、ムアーウィヤが第5代カリフを名乗りウマイヤ朝を開き、イスラム主流となる。
シーア派:ムハンマドと血が繋がっていることを重視。アブーバクル、オマル、オスマンをカリフと認めず、アリーを初代のイマーム(指導者)とする。

 少数派政権

尚、シリアのアサド政権はシーア派から派生した少数派のアラウィ派である。アラウィ派の起源は現在も不確定な要素が多く説明が難しいのでここでは割愛します。少数派が国を統治する体制はシリアに限ったことではありません。ヨーロッパ植民地時代は少数派が統治すれば多数派贔屓にならないという理想があり、実際独裁政権下では少数派と多数派の共存が行われていました。ウガンダ(旧ベルギー植民地)においても少数派のツチ族がフツ族を統治しました。(独立後“ホテル・ルワンダ”でも有名なジェノサイドに発展)。

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日本の報道

中東といっても、ひとくくりで論じるとかえって真実とは違う方向へ論議が向かっていきます。中東の中には、民族、宗派など多くの部族が枝分かれしています。日本とタイを同じアジアと評して、議論することと同じように感じます。
日本人からしたら、「タイやフィリピンといった東南アジア(さらには発展途上国)と違う!」と言ってしまいそうですが、現在の日本での報道等は、中東の多くの部族や宗派を無視してひとくくりに論じているかと思います。

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