アメリカの教科書は原爆投下をどう描いているの?その記述と変遷について

原爆と言えば、日本人ならば誰もが知るものですよね。それならば、アメリカではこの原爆投下はどのように教えられているのでしょうか。実は、アメリカ国内でも原爆投下に関する意見は変化しており、アメリカで使われている教科書にもその見解には変遷が見られます。ここでは、アメリカ国内の教科書は原爆投下についてどのように記述しているのか、どのように変化しているのか、ということについてお話ししたいと思います。

ただし、原爆に関しては様々な意見があり、ここで全ての意見を網羅することは不可能であるということをご理解いただけますと幸いです。

アメリカはなぜ原爆を投下したのか

 ダウンフォール作戦で失われる兵士たちを救うため

特に戦後から原爆投下に関する資料が広く公開される1960年にかけて、アメリカの教科書では原爆が投下された理由が強調されている傾向があります。アメリカがなぜ原爆を投下したのかということに関しては今でも様々な議論が行われていますが、最も一般的な見解は「ダウンフォール作戦で失われる兵士たちの命を救うため」というものです。日本は1945年8月14日に降伏しましたが、もしも日本が降伏しない場合、アメリカが率いる連合国は日本本土に攻撃を仕掛けるつもりでした。1945年11月に九州から、そして1946年春に関東地方から攻撃を仕掛け、日本を壊滅させるつもりだったのです。ただし、日本が降伏したためにこのような侵攻はなされませんでした。

もしもこのダウンフォール作戦が行われた場合、これは史上最大の水陸両用作戦になる予定であり、その場合は多くの日本人のみならず、アメリカ兵も命を落とすと考えられていました。つまり、このような被害をなくすために原爆を投下したという考え方がアメリカでは一般的だったのです。

ただし、この見解は原爆が投下される前に発表されたものではありません。1947年、スティムソン陸軍長官が”The Decision to Use the Atomic Bomb(原爆投下の決定)”という論文を発表し、ここに「ダウンフォール作戦で失われるであろう100万人の死傷者の命を救うため」という記述がありました。この記述が反響を呼び、この見解がアメリカの原爆投下に対する見解になっていたのです。

その一方で、実際にダウンフォール作戦が行われた場合にそこまでの死傷者が出ると本当に考えられていたかどうかに関しては結論が出ていません。資料によっては「4万人ほどの死傷者が出る予定」などという記述もあり、これに関してはどの数字が正しいのか突き止めることが不可能だといえます。また、仮に100万人という数字が正しかったとしても、原爆で失われるであろう日本人の人数がそれ以下だったから原爆を投下しても構わないという結論はおかしいですし、実際に原爆の後遺症で苦しむ人を加えれば、その人数は100万人を超えます。そのため、いずれにせよ日本人にとっては理解できない説明になっているのです。

 日本がポツダム宣言を黙殺したため

もう一つ、アメリカが原爆を投下した原因として考えられているものが、日本が最後通告であるポツダム宣言を黙殺した、というものになります。連合国は日本に対し、無条件降伏をしなければ大きな損害を被るという旨の最後通告を出しました。しかし、当時の総理大臣である鈴木貫太郎がこれを黙殺し、それを海外が「日本はポツダム宣言を無視した」と報じたのです。

つまり、もしも日本がポツダム宣言を黙殺していなければ、もしも日本がその時点で無条件降伏をしていれば原爆投下はなされなかった、という見解です。もっとも、ポツダム宣言を日本が黙殺したときにはすでに原爆投下の準備が開始されていたため、これも日本が納得できる説明というわけではありません。

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原爆投下に関する代替案が出現する

 ポツダム宣言をもう少し明確にするべきだった

1960年に入り、原爆投下に関する政府の資料が広く研究者に公開されました。それによって原爆投下の研究が進み、1960年代以降の教科書には大きな変化が見られます。というのは、原爆を投下した理由だけを述べるのではなく、原爆投下以外にも代替案があったという説明が目立つようになります。

その中の1つが、ポツダム宣言をもう少し明確にするべきだったというものです。ポツダム宣言には「降伏しなければ大きな損害を被るだろう」という旨の記述がありましたが、具体的にどのような損害なのかという事は一切書かれていませんでした。もしも原爆に関する記述を加え、それがどのような爆弾なのかという恐怖心を日本に持たせることができれば、日本は早々に降伏していたのかもしれないという考え方が記述されるようになります。

 原爆のデモンストレーションをするべきだった

これは特に原爆を製造した科学者たちから出てきた見解です。完成された原爆をただ単に日本に落とすのではなく、日本の政府関係者を呼んで原爆を投下してみせ、「デモンストレーションをするべきだったのではないか、そうすれば日本側も恐怖を覚え、早々に降伏したのではないか、という考え方が記述されるようになります。

実際には、もしも日本人を呼んで原爆を投下して見せたところで、万が一その原爆が爆発しなかった場合に意味がない、そのデモンストレーションが成功する保証がない、ということでこの意見は却下されたと考えられています。しかしいずれにせよ、科学者たちはいきなりその原爆を日本の街中に投下するのは反対だった、という見解が教科書に出現するのです。

 日本の降伏はそもそも時間の問題だった

原爆投下の代替案というわけではありませんが、そもそも原爆は必要なかった、そもそも日本の降伏は時間の問題だったのではないか、という記述も現れるようになります。確かに、原爆投下がなされた頃日本はすでに戦意を喪失しており、人々は苦しんでいました。教科書の中にも、「鈴木貫太郎は降伏をしようと考えていたが、軍隊がそれを許さなかった」などという記述があります。

つまり、日本はすでに敗戦状態であり、原爆は必要なかった、原爆を投下しなくても日本はすぐに降伏したはずだ、という見解が出てきたのです。言い換えればアメリカ国内で「原爆は必要なかったのではないか」という見解が出てきたと言えるのです。

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同時多発テロを経て

 両論併記が増えた

そのアメリカの教科書は、2001年9月11日の同時多発テロを経て、その記述を変化させます。それ以降の教科書は原爆に対するプラスの面とマイナスの面を両論併記という形で記述し、生徒たちに原爆は必要だったのか、必要なかったのか、考えさせるような記述になります。

実際に、原爆は必要だったかどうか生徒たちに議論させるという授業も存在するようです。原爆が必要だった、必要なかった、ということを教師が生徒たちに教えるというわけではなく、今は生徒たちに双方の意見を考えさせるスタイルが尊重されているようです。

 同時多発テロによって復活した保守的な風潮

なぜ両論併記になったかというと、それは同時多発テロによって保守的な風潮が復活したからではないかと思われます。というのは、1960年頃はアメリカ国内で公民権運動が起こった頃であり、黒人など、白人以外の人種に対する見方が変化している時代でした。同時に日系人強制収容に対する理解も深まり、日米関係も良くなっていったのです。そのため、教科書においても他の人種や他の民族を尊重する記述が求められるようになっていったのです。

その一方で、同時多発テロはイスラム過激派という明らかにアメリカ人とは違った人たちから受けた攻撃でした。公民権運動などによって他者に門戸を開いてきたアメリカでしたが、それによってイスラム過激派から攻撃を受け、保守的な風潮が復活したのではないかと思われます。しかしだからといって以前のアメリカのように他の人種や民族を受け入れないという社会に戻れるはずもなく、そのために両論併記という記述が生まれたのではないかと考えられます。

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アメリカの教科書は確かに変化している

数年前、被爆者の方と話をした時、その方から「私は英語が話せないから、アメリカが原爆に関してどのように考えているかもよくわからないし、日本のマスコミが報道することしかわからない。でも、もしもアメリカが原爆に対して懐疑的な見解を持ってくれているならば、とても嬉しい」と聞きました。日本国内ではあまり報道されませんが、確かにアメリカの歴史教科書は原爆投下に関する記述を変化させています。また、戦争を直接経験した世代ではない人たちが多くなり、戦争について客観的に考えられるようになったという背景もあるのでしょう。同時に、今後は原爆や戦争を体験した人たちの経験談を聞き、戦争について考えるだけではなく、真珠湾攻撃など日本が仕掛けてきた攻撃について理解を深めることも必要だと言えるのです。

   

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