北京生活回想録!とってもとってもつらかったこと3選

先日まで中国の北京で生活をしていました。中国での生活は時に想像を絶することがあり、大変なことも少なくなかったです。ここでは中国での生活を思い起こし、「あれはつらかった」と思える出来事を紹介したいと思います。

シャワーの水が出ない

 水圧が弱くて水が届かない

夫が中国の大学で仕事をしていましたので、私たちは大学のキャンパスの中にあるアパートで生活をしていました。私たちが住んでいたのは階段がないアパートの5階でした。
3年ほど北京で生活をしていましたが、2年ほど経った頃からシャワーの水が出なくなったのです。もともと水圧が弱かったのですが、下の階の部屋にたくさんの学生が引っ越してきた時期でもあったため、学生たちが一気にシャワーを浴びると弱い水圧がさらに弱くなってしまい、5階まで水が届かないようでした。

 シャワーは断水状態

シャワーの水が出ないと聞いても、多くの人はピンとこないかもしれませんね。一言でいうならばシャワーの水は常に断水状態であるということです。ラッキーであれば、蛇口をひねると少しばかり水が出てくるため、顔ぐらいなら洗えるかもしれません。
また、水ならばかろうじて出てくるけれども、お湯は出てこないということもありました。シャワーを浴びていてもいきなり温度が変わることもありましたし、最悪の場合にはいきなりお湯が出なくなるということもありました。

 妊娠中のシャワー

シャワーの水が出なくなった頃、私は妊娠9ヶ月に入ったところでした。夜は早く寝たいのですが、その時間帯はちょうど学生たちがシャワーを浴びる時間帯でもあり、かろうじてお湯が出るようになる12時過ぎまで待っていたこともあります。お湯が出るからとシャワーを浴び始めたら、シャンプーをつけた時点でお湯が出なくなってしまったということもありました。
妊娠中はとにかく体を冷やしてはいけないと思ったため、お湯でシャワーが浴びられないというのは大きなストレスでした。水にすればシャワーを浴びることができる状態でも、さすがに赤ちゃんがいるお腹に水をかける勇気はなく、しかし9月の北京はまだ暑かったため汗だくになっており、とにかく苦痛だったことを覚えています。

 子供が生まれてからのシャワー

息子が生まれてからは、新生児のうちは台所でお湯を沸かし、ベビーバスでお風呂に入れることができました。しかし徐々に大きくなってくるとベビーバスでは足りなくなりますよね。
実家の母からも「一緒にシャワーを浴びたら良い」と言われましたが、とにかくお湯が出ませんからそういうわけにもいきません。大体12時を過ぎればシャワーはそこそこ使えることが多かったですが、かといって乳児を12時過ぎまで起こしておくわけにはいきません。また、シャワーが使えると思っても、先ほども述べた通りいきなり温度が変わることもあり、息子の為にもこれはダメだと感じていました。
そこでキッチンでお湯を沸かすことにしたのです。シャワールームにベビーバスを置き、ヤカンを2つ使ってお湯を沸かし、温度調節をしながらベビーバスにお湯を張りました。また、頻繁にキッチンの水道も水が出なくなるということがあったため、普段からペットボトルに水を貯め、毎晩その水を使ってお湯を沸かすようにしたのです。乳児の息子の場合、ベビーバスに半分お湯を貯めれば充分洗うことができました。また、私自身もベビーバスいっぱいにお湯を貯めればギリギリ髪の毛まで洗うことができました。いつ止まるか分からないシャワーを使うよりは、ストレスがたまらなかったです。

 毎日ヤカンでお湯を沸かしてお風呂に入る

とは言え、毎日のようにキッチンでお湯を沸かし、温度調節をしてお風呂の準備をするというのはなかなかのストレスでした。もしかしたら上の世代の方々から「昔はそうやってお湯を沸かしたのよ」などとお叱りを受けるかもしれませんが、生まれたばかりの子供がいる状態で、そして親や親戚など、助けてくれる人がいない状態で、時間をかけてお風呂の準備をするというのはなかなか辛かったです。
今は夫の出身国であるベルギーで生活をしていますが、「さて、シャワーを浴びよう」と思った時に洋服やパジャマだけを準備してシャワールームに入り、極めて高い水圧のシャワーを浴びられるなんて夢のようです。

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ゴミ捨て場にはハイエナが集まる

 ゴミの日は決まっていない

引っ越しをするとなると、少なからず断捨離をしなければいけませんよね。私たちは出来る限り物を無駄にしないように荷造りをしようとし、家具は全部売りました。そして未開封の調味料や洗面用具等は興味を持ってくれる友人に渡したりもしたのですが、例えば開封済みの調味料や洗面用具等は捨てなければいけませんでした。
場所によるのかもしれませんが、少なくとも私たちが住んでいた大学にはゴミの日というものは存在しませんでした。大学だからということもあるのかもしれませんが、毎日のようにゴミ収集車が来て、ゴミを回収していきました。ゴミ捨て場には学食から出されたゴミのみならず、学生や教職員、その家族らが捨てるゴミで溢れており、そこには常にドブネズミが走り回っている状態でした。

 ゴミ捨て場の監視カメラ

そしてゴミ捨て場には「回収できないものを捨てないように」などという名目の下、監視カメラが設置されていました。しかし、私たちはあの監視カメラは回収できないものが捨てられないようにするためのものではなく、むしろ何が捨てられたかチェックするものだと思っています。
というのは、アパートには常に管理人らしき人物がいたのですが、引っ越しでいらなくなったゴミを捨てに行くと、必ずと言って良いほどの確率で管理人がこちらに向かって歩いてくるのです。例えば使わなくなった掃除道具などを捨てたとしましょう。10メートルほど離れたところで振り返ると、管理人が既にその掃除道具などを拾って戻ってきているのです。
それは掃除道具等に限りません。よく「世界仰天ニュース」などの番組で中国の農村に住む人がペットボトルなどを回収してわずかなお金と交換するなどということが紹介されていますが、それは実に本当のことです。どこのゴミ箱であったとしても、お年寄りがゴミ箱を漁り、ペットボトルや空き缶を拾っていく姿を見かけました。夫が飲んだビールの缶や水が入っていたペットボトルを捨てに行くと、このようなものはまず捨てに行った時点で誰かが欲しがります。

 きちんと捨てても漁られる

ゴミを捨てる時、いらなくなったものを箱や袋に詰めて捨てますよね。どれだけきちんと捨てても、そして仮に管理人が興味を示さなかったものであったとしても、まず5分から10分後には誰かがそのゴミに興味を示します。
例えば開封済みの調味料などの食品を箱に詰めて捨てた時、5分後に戻ってきたらその箱が開けられ、中身が散らかされていました。つまり、興味を示した人が箱を開け、中身を散らかし、好きなものだけ持っていったのです。散らかされたものが箱の中に戻される事はありません。いくら捨てたものであっても、自分たちが使っていた食品が泥まみれの道路の上に散らかされている状態は非常に不愉快でした。

 ハイエナが群がるゴミ捨て場

ゴミを捨てた後にしばらくそのゴミ捨て場を眺めていたことがあるのですが、その光景はまさにハイエナが群がるそのものでした。ゴミを持っていくと管理人のみならず、誰かがそのゴミに近寄っていきます。そしてゴミを漁り、使えるものをもっていくのです。
そのうち、徐々に人々は私たちが「拾っていけるゴミを捨てている」ということに気づいたのでしょう。私たちが外出などで外に出ると、周りから物欲しそうな視線で見られるようになりました。「次は何を捨てるんだろう」と思っているんでしょうね。
ある時、暖房器具を売ることになり、その暖房器具を購入したいという人がアパートに来る予定だったため、夫がその暖房器具を持ってアパートの前で待っていました。その時はどこからともなく人が集まり、やはり物欲しそうな目で夫のことを見ていたそうです。夫が購入者に暖房器具を渡したらその人たちはいなくなったそうです。いつ夫が暖房器具を捨てるか、今か今かと待っていたのです!私はしばらく前からそのような人たちのことをハイエナと呼んでいましたが、この時には夫もそのように思ったようで、鳥肌が立ったと言っていました。

 思い入れのあるものが捨てられない

そのようなことを何度か経験し、私たちは思い入れがあるものを捨てる際は工夫をしなければいけないようになりました。例えば、やはり自分が愛用してきたものが散らかっされるのは不愉快だったため、私はシャンプーや他の調味料などを捨てる時、すべてキッチンの流しで中身を空にして捨てました。確かに中身を入れたままで捨てれば誰かが拾って行き、誰かが使うのです。よく言えばリサイクルにはなるのですが、知らない人に自分たちが使った物を漁られるのが不愉快でした。確かに中身を空にしても、容器を欲しがる人が必ず存在するわけですが、容器だけならまだ許せるように感じました。
私が1番ためらったものは、10ヶ月になる息子が使っていたベビーベットのマットレスです。ベビーベッド自体は既に友人に譲っていたのですが、マットレスだけはしばらく使っていました。マットレスを捨てなければいけないとなった時、きちんと丸めて紐で縛って捨てても誰かがそれを開くだろう、持っていってくれるならばまだともかく、息子が使っていたマットレスが無残に汚い道路の上で汚されるのは絶対に嫌だと思ったのです。ゴミ収集車が来るのは大体朝の5時でしたから、私はそのマットレスを丸め、夜中の3時ごろにゴミ捨て場に捨てに行きました。その時間帯であればゴミ捨て場を見に来る人も少ないですし、何よりも仮に散らかされたとしても、私自身が見なくて済むと思ったからです。
最後のゴミを捨て終えた時、とても安心しました。これでハイエナが群がるゴミ捨て場にものを捨てる必要がなくなったのです。

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郵便物が送れない

 国際郵便を受け付ける郵便局

北京からベルギーに引っ越すにあたり、スーツケースだけでは足りないため、荷物をベルギーに送付する必要がありました。日本ならばどの郵便局に持っていっても国際郵便を受け付けてもらえますが、中国はそうでは無いのです。
夫が仕事をしていた大学のキャンパス内には郵便局がありました。以前はその郵便局に持っていけば荷物を海外に送ることができたのですが、ある時からその郵便局はEMSしか受け付けなくなってしまったのです。しかし引っ越すにあたって荷物を送るためにEMSを使っていたらとんでもないお金がかかってしまいます。「船便でベルギーに荷物を送りたい」とスタッフに伝えたところ、この郵便局ではEMSしか受け付けていない、EMSでは無いならばここからバスで2駅の郵便局に行け」と言われたのです。
中国はもともと海外からの影響を極めて厳しく取り締まっている国です。外国に送る荷物のチェックを厳しくするため、国際郵便を引き受ける郵便局が限定されてしまったのです。

 毎日箱抱えて郵便局へ

私たちは合計10箱ほどの荷物を北京からベルギーに送ったように思います。普通に考えれば車で郵便局に行けば良いのですが、私たちは車を持っていませんでした。そして確かにバス停で2駅ではありますが、中国は右車線の国であり、郵便局は大学の門を出て左側にあったのです。つまりバスに乗って郵便局に行くためには大学の前にある歩道橋を渡り、バスに乗って、再度歩道橋を渡って郵便局に行かなければいけませんでした。
それならばタクシーを使えば良いのではないか、と思う人もいるかもしれません。日本ならば何の問題もないのですが、大学を出てタクシーの運転手に郵便局に行きたいという旨を伝えると、「郵便局は逆方向だからムリ」と乗車拒否されたことが何度もあります。私たちは中国語を話すことができないということ、そしてすでに乗車拒否された経験が何度もあるということから、交渉は選択肢にありませんでした。
アパートの5階から大きな箱を抱えて郵便局に行くのはなかなか大変でした。そして1回1箱しか抱えることができませんから、当然ながら何度も郵便局を行き来しなければいけません。息子がいますので息子をおんぶ紐でおんぶし、荷物を抱え、今思うとよくやったなぁ自分たち、と感心します。

 中身のチェック

海外に荷物を送る場合、郵便局では中身を全てチェックされます。私たちがベルギーに送りたかったのはほとんどが洋服や息子のおもちゃでしたから、基本的には引っかかる心配はなかったのですが、なんせ中国語が通じないため、いちいち大変でした。
また、人によっていうことが違うのです。実家の両親や友人が送ってくれた食材の中で、出汁など乾燥しているものは国際郵便で送ろうと思ったのですが、一度その食品が引っかかりました。理由は食品を包んでいるパックにアルミが使われているからということでした。

 送れるもの、送れないもの

アルミは郵便で送れないものではありません。ましてや、アルミがダメならばファスナー付きの衣類や女性下着でさえ郵送できませんよね。そしてその郵便局に掲げられていた「郵送できないものリスト」の中にもそのような記載はありませんでした(中国語が読めなくても漢字が読めれば想像がつきます)。
この時、私はかなりブチ切れた記憶があります。この数日前に送った荷物の中には同じようにアルミが使われたパックに入った出汁があり、その時は何の問題もなかったのです。しかしこのようにスタッフによって言い分が異なると、こちらとしては打つ手がありません。中国語が話せなければなおさらです。
幸い、その次の日に郵便局に行った時は別のスタッフが対応してくれました。そのスタッフはアルミが使われたパックも何も気にする事はなく、荷物を送らせてくれました。

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嫌なものは嫌、つらいものはつらい

このような事は、一部の国にとっては当たり前なのかもしれません。これよりも大変な状態で生活をしていらっしゃる方もいる事でしょう。そのような人が私の話を聞いたら「そんな程度で何も言っているの」と仰るかもしれません。また、郷に入れば郷に従えという諺がある通り、海外で暮らすのであればその国の習慣や文化を受け入れなければいけないのは当たり前のことです。
しかし、当時の私たちにとってはこれらの経験は非常に過酷でした。3年生活した北京を出るのは簡単なものではなく、例えば友人と離れなければならない、好きだった場所にには行けなくなるなど、ホームシックのような感覚もありました。しかしこのような過酷な現実に直面する度に「あと少しで北京から出られる」と思ったことも紛れもない事実です。
外国で生活をし、たとえその文化や習慣を受け入れなければいけないという状態であったとしても、嫌なものは嫌ですし、大変なものは大変なのです。私たちが経験したそれは、少なからずここでは子供を育てたくないと思える環境だったと言えるでしょう。

   

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