海外にいると、日本の報道と現地の報道は全然違うということに気づきます。確かに現地の問題はやはり現地の問題であり、海外には関係がないということもありますから仕方がないことではありますが、例えば日本では大々的に報じたれているのに現地の人には知られていなかったり、現地で甚大な被害が出ていても、日本に影響がなければ日本で報道される事はありません。ここでは、日本とミャンマーの報道の違いについてお話しします。
ミャンマーの時代到来!?
ミャンマーの進出ブーム
2012年、中国や韓国の反日問題が大きく報道されていた時、ミャンマーでは進出ブームが巻き起こりました。中国や韓国が反日運動を起こす中、もしも日本企業が撤退していくならば、次に東南アジアを目指してもらおうという動きが起こったのです。
東南アジアと言えば、体にはすでに万単位の日本人駐在員がいますし、ベトナムやインドネシアは、近年急成長を遂げています。また、カンボジアでは若い労働力が豊富です。これらの国では、人件費も安く、購買欲が高いということが魅力的です。このような魅力を持った東南アジアが、自分たちの国に日本企業を呼び込もうと進出ブームを巻き起こしたのです。
最後のフロンティア
そのような中でミャンマーは民主化が始まり、「最後のフロンティア」と称されていました。初めての海外進出にミャンマーを選んだ企業もたくさんあります。
日本国内では、企業が「これまで海外進出は後手に回っていたから、今回は先手を行く」という強気な姿勢を表し、これからはミャンマーの時代であるかのような報道がなされていたのです。
日本の報道とのズレ
実はそこまで発展していなかった・・・
日本では、ミャンマーがいかに民主化し、いかに発展しているかという報道がなされていました。しかし、これは私の感想ですが、実際のミャンマーは正直そこまで発展したようには見えませんでした。当時、視察でミャンマーのヤンゴンに来る企業がとても多かったのですが、視察で終わってしまう企業もたくさんありました。
とある企業の出張者がミャンマーに来た時、街を案内したのですが、その時に「これが最後のフロンティアと呼ばれているミャンマーか。何もないじゃないか」と言われたことを今でもよく覚えています。日本で報道されているほど国が発展していたわけではなかったため、高い期待を抱いてミャンマーに来たものの、思ったほどの発展が見られなかった、とがっかりする人が多かったのです。
東南アジアの中でも遅れていた
日本ではいかに発展しているかのように報じられていたミャンマーですが、確かにタイのバンコク、ベトナムのホーチミン、カンボジアのプノンペンと比べても、かなり発展が遅れているということを感じました。
誤報
ミャンマーの誤った習慣を報道
日本のとあるテレビ局が、ミャンマーの文化や習慣について誤った報道したことがあります。これに対し、ミャンマー人から批判が上がったことがありました。ここでは、その辺を少しばかり紹介します。
まず、その番組では「ミャンマー人男性は、大人になっても母親の胸を触る」と放送されたのですが、そのような習慣は一切存在しません。
また、様々な宗教が混在するミャンマーでは、ミャンマー人の習慣という物をひとくくりにすることはできません。ヤンゴンで生活する人もいれば、電気のない中で生活する人もいます。生活習慣は人によって違うのです。そのため、「ミャンマー人とは」とまとめられることを嫌がる人も少なくはありません。
日本のメディアでは「面白い」、「ネタになる」という理由で、ある1つの家庭で行っているしきたりが大々的に報じられてしまうことがあります。しかし、それがミャンマーの一般的なやり方とは限らないのです。
思い込みはダメ
1つの国の中にも、仏教やイスラム教、キリスト教やヒンドゥー教が存在します。そのため、ミャンマー人だからこのようなしきたりを重視する、と思い込んではいけません。それは、例えば欧米人が「中国人と韓国人と日本人の区別がつかない」という理由で、東アジアの人間を全員中国人だと勘違いしているのと同じことです。
同じ国だからといって全員が同じ生活習慣を持っていると思い込んではいけません。様々な文化が集まる国だからこそ、様々な習慣が存在するのです。
異なる人種・民族・宗教が集う国
日本は、都会に住んでいても田舎に住んでいても、そこまでの格差が存在しないですよね。各家庭にそこまでの違いがないため、なんとなくどこの家庭も同じような気持ちになってしまうかもしれません。そして、そのような意識が「外国も同じ」という意識につながってしまう傾向があります。
海外には多人種国家や多民族国家がたくさんあります。人種や民族、宗教などが違えば、当然文化や習慣も異なります。同じ国の中でも言語が違うということもあり得るのです。そのため、「ミャンマーだからこう」などのように全てをひとくくりにしてはいけません。人によって考え方も捉え方も違うのですから、それぞれの考え方や捉え方を尊重しなければいけないのです。
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