日本のおもてなし精神というのは世界的にも有名です。それゆえに日本への旅行は心地よく、世界的にも人気ですね。そんな外国人が観光客として日本に来た場合、良いと思うところもあれば、もちろん「これはちょっと」と思うこともあるようです。ここでは、外国人が観光客として日本を訪れた際に問題だと感じる点についてお話しします。
英語が通じない
英語表記が間違っている
言うまでもなく、外国人が日本に来て真っ先に思う問題点は日本は英語が通じないというところです。確かに英語のパンフレットなどはしっかりと用意されていることが多いのですが、英語が間違っているということも少なくありません。
例えば、最近ではどのトイレにも子供を座らせておくための椅子やオムツの交換台がありますよね。そこに書かれている英語を見たことがあるでしょうか。「目を離さない」の英語訳が”Keep watch”、「落下注意」の英語訳が”Caution, drop!!”になっています。”Keep -ing”と言う表現は「〜し続ける」という意味ではありますが、Keep watchと動詞の原形を2つつなげてもそのような意味にはなりません。また、これでは「目を離さない」ではなく、「見続けろ!」という意味になります。”Caution, drop!!”では、「気をつけて落ちろ!」そういう意味になってしまいます。
英語が話せるスタッフがいない
私が大学院生の時、アメリカのかの有名な歴史学者が私たちの大学を訪れました。一般的にドキュメンタリーや歴史が好きという人ならば、テレビなどで知っている人も多いのではないか、という研究者です。彼が日本に滞在している間、大学の教授たちが彼を博物館に連れて行きました。
そして、教師の1人が事前に博物館に問い合わせ、「有名な歴史学者が行くから、英語が話せる学芸員をつけてほしい」とお願いしたのです。博物館側は快く引き受けてくれたそうですが、いざ当日現れた学芸員は新卒の1番若い学芸員であり、決して英語が話せるとは到底言えない人だったそうです。教授が言うには、「『とりあえずお前が行け』と、若い人が行かされたんだろうね」との事でした。
丁寧すぎる
ラッピングは資源の無駄
日本でプレゼントを購入すると、綺麗に包んでもらうことがありますよね。しかし、外国人からしてみるとラッピングが過剰なのではないかという考えがあるようです。
確かに、日本のラッピングはとても綺麗ですが、包んだ上で箱に入れ、さらに包んで… ということがありますよね。最近は環境問題なども指摘されている中、そこまで包まなくても良いのではないかとのことです。
空のグラスに延々とビールを注ぎ続けるのはやめて!
私の夫はドイツ人で、ビールが好きです。私たちは日本で開かれた国際学会にて出会いました。
その時にはレセプションがあり、立食式のパーティーが開かれ、お酒も多数並んでいたのですが、とにかくいろいろな人が夫のグラスにビールを注いでくれたのです。夫は日本には相手のグラスに飲み物を注ぐ文化があるということを知っていたのと、もともとビールが好きだということで最初は気にしなかったそうですが、あまりに多くの人がビールを注いでくれるため、徐々に「このままではヤバい」と思うようになったそうです。というのは、まず「これ以上は飲めない」と言ったら失礼にあたるのではないか、丁寧な断り方が分からない、注いでもらったら飲まなければ失礼にあたるかもしれない、などという不安から断れなかったとのことでした。
確かにいくら「血液はビールで出来ている」ようなうちの夫でもさすがに限界はありますので、この話を聞いたときは笑ってしまいました。お酒を注ぐというのは歓迎の意味がありますから仕方ないのですが、でも確かに、特に相手が外国人の場合、もしもその外国人がお酒を飲み続けていたら、ある時点で「大丈夫?」「無理して飲まなくてもいいんだよ」と教えてあげられると良いかもしれませんね。
意外と他人を助けない
他人のピンチは無視
日本のおもてなし精神とは裏腹に、日本人は意外に他人のピンチを見て見ぬふりする傾向があります。例えば、外国の空港のターンテーブルでスーツケースを拾い上げる際、意外と現地の人に助けてもらったことがあるという経験を持つ人も多いのではないでしょうか。しかし、同様に日本の空港でその経験がある人は極めて稀だと思うのです。
私の母は雨の日に運転免許証の更新に行き、滑って転んでしまい、足を脱臼したことがあります。立ち上がることができず、濡れた床の上でしばらく座り込んでいても、誰も助けてはくれなかったとの事でした。明らかに足を滑らせた母を見てくすくす笑いながら通り過ぎる若いカップルはいたそうですが。その話を聞いた時は本当に腹が立ちました。
外国人にだけ優しくてもダメ
おもてなしの精神を持ち、外国の人に対してだけ優しくしようとしても意味はありません。外国の人が道に迷っていた時に声をかけられるよう、”May I help you?”と言えるよう、英語を勉強しても仕方がないのです。
それよりも、目の前で倒れた人に声をかけられる、目の前で明らかに困っている、そんな人の手助けができることの方が大切だと思います。そして相手が外国人だから助けるのではなく、相手が誰であっても助ける、その相手が外国人であったなら助ける相手が外国人であったというだけの事、と考える必要があるのではないでしょうか。
未だに鎖国中の日本
日本はいまだに鎖国中であると例えられることがあります。自らの殻の中に閉じこもり、自らのあり方に満足し、そして他の国に目を向けず、そこから学ぼうとはしないという姿勢は確かに存在すると思います。
同時に、例えば日本の健康保険や仕事に対する姿勢等は世界のトップクラスを誇るわけですから、外から学ぼうとしない姿勢はもったいないですよね。例えば日本の郵便制度は世界のトップをいきます。日本のように財布を落としても交番に届けられるなどといった国は他にありません。だからこそ、特に外国に出ていたことがあるなどと外国の様子を知っている人こそ、日本国内においてその問題点を改善していかなければいけないのではないでしょうか。
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