フィリピンのセブ島にて17年生活しています。独身時代にセブ島にやってきてフィリピンの人と仕事をしてきました。フィリピンの女性と出会い、結婚し、今は娘と息子の4人で暮らしています。結婚生活は15年になります。
私にとっては外国人と仕事をする、コミュニケーションを取るという事は日常的なことであり、当たり前の事ですが、私は日系企業で仕事をしており、日本側とフィリピン人の現地スタッフとの調整を任されているため、常に日本とフィリピンの感覚の違い、ギャップを感じながら仕事をしている毎日です。ここではそんな違いについて紹介します。
発展途上国と先進国の違い
フィリピンは日本と全然違う!
まず、フィリピンは発展途上国です。それに対して日本は先進国ですよね。しかし、一言で発展途上国、先進国といっても、多くの人はどのように違うのか、先進国がどのようなものなのか、よくわからないのではないでしょうか。私も実際に何が違うのかよくわかりませんでした。
私はフィリピンに来る前に、一時期カナダで生活をしていたことがありますが、カナダも先進国です。しかし、アメリカやカナダに行った経験を持つ人は多いと思いますが、日本からアメリカやカナダに行ってもそこまで大きな違いは感じないですよね。確かに言語は違いますし、文化や習慣も違うのですが、そこまで驚く事はありません。しかし、北米に位置するアメリカやカナダに対し、フィリピンは日本と同じくアジアに位置するはずなのに、日本とフィリピンは全然違うのです。わかりやすくいうと、フィリピンは何もかも約束通りにいかないということがお約束で、日本では約束通りに行くのがお約束、という感じでしょうか。
こんなことは日常茶飯事!
例えば日本で普通に生活していると、朝、蛇口をひねっても水が出てこないということはほとんどないですよね。しかしフィリピンではこれが頻発するとは言いませんが常にあり得ることです。例えばそれが起こったとしても「またか」というだけのことです。
また、何時間停電していても決しておかしなことではありません。断水などに比べると頻度は低いですが、電話回線が不通になることも決して珍しくは無いのです。インターネットも回線速度が常にカタログ上の回線最高速度の30%未満になっていますし、回線がパンクしてサイトに接続できないという事態は下手をすれば1日置きに発生します。インフラが整っていないからかも知れませんね。これこそが先進国と発展途上国を分ける決定的な条件なのかもしれません。
なぜこのようなことが起こるのか
南北問題
かつては南北問題という言葉がよく使われていました。これは北半球北部にある緯度が高い国々がアジアやアフリカを含む赤道より下にある国々を植民地化したことに始まる南北の経済格差の問題を指しています。それではなぜこのように南側の国々が植民地にされたのかというと、実は先を見越して準備をするという概念が文化の中に存在しないか、非常に希薄であるからなのではないか、と感じています。
冬がない
さらに、その根本にある問題は1年を通じて冬がないからなのではないかと思います。例えば日本に代々住んできた私たちのご先祖様が私たちに命をつなぐにあたり、夏から秋、秋から冬へと季節が移り変わる中で、自然の気象に任せた農業を行った場合、例えば秋には十分な収穫をして冬に備えて蓄え、収穫が少ない場合は食料の消費量を厳格にコントロールし、次の収穫まで備える、あるいは保存方法を工夫するなど、様々なことを考えて計画する必要があったわけです。
それは戦争を行うにあたっても十分に役立った概念だと思います。すなわち、兵士の数、燃料の補給、補給量の確保、戦費予算などなど、厳密に計画し戦略を立てる背景がなければ、たとえ局所的な戦闘で強さを見せたとしても戦争に勝つことはできないのです。つまり、文化的な背景の中にそのような考え方があった北部の国々の方が、南部のおおらかな国々に侵略戦争行った場合、その結果は火を見るより明らかなのではないでしょうか。
インフラが整わない理由
さて、話がずいぶんと飛躍しましたが、インフラが整わない理由は、植民地化された結果、北部の国々の影響を受けて都市化を発展させたものの、先を見越して準備するという文化がないために例えばインフラを整備したとしてもメンテナンスができない、具体的にはものは必ず老朽化するから、それを見越して完全にダメになる前に計画的に交換を行わなければならない、ダメにならないように手入れをしなければならない、などという概念がないからだと思うのです。その結果として水が止まり、電気が止まる、という状況が起こるのではないかと思うのです。
日本の良さとその裏側にあるものとは
日本のインフラのレベルには常に感動
正直なところ、私が生活の基盤を日本からフィリピンに移したのはかれこれ20年近く前のことですから、おそらく今の日本は私が住んでいた頃の日本とは違うでしょう。しかし、年に1度は仕事の関係で帰国をするのですが、常に日本のインフラのレベルには感動します。
何か買い物をしても、例えばレジにかかる時間が圧倒的に短く、正確であり、本当にストレスがありません。フィリピンではこうした精算業務は日本の3倍から4倍の時間はかかると思います。客がいない間に釣り銭の準備をするなどということができないため、なくなってから慌てるということもしょっちゅうです。客も待っている間に支払いの準備をせず、ぼーっと立ってるだけですから、いつもレジは行列だらけで待っているのも面倒です。
例えば日本の道路環境は交通管制システムが発達し、路面の状態も良く、移動の際のストレスが本当に少ないです。例えばフィリピンではタクシーに乗ってスマホの操作をしようとしても、振動がすごすぎて、長時間タクシーに乗りながらスマホをいじるなんてことはできません。
準備する側は大変な苦労がある
その一方で、こうしたことが当たり前になり、物事がハイレベルになってしまうと、準備する側にとっては大きなストレスを覚える場合があるのではないでしょうか。失敗があれば減点法で採点されるような感じになったり、それがどんなに小さな失敗であったとしてもものすごく大きな間違いをしたかのように認識されてしまったりなど、非常に辛いのではないかと思うのです。
なぜ日本よりもフィリピンの方が幸せそうな人が多いのか
今まで日本の良さを述べてきたつもりですが、客観的に日本とフィリピンを見てみると、日本よりもフィリピンの方がなんだか幸せな生活をしている気がします。日本はいかに日本が優れた社会を形成しているのか、それがいかに恵まれたことなのか、わかっていない人が多いような気がするのです。素晴らしい環境に対して感謝ができず、何か不具合があれば減点法のごとく不満やクレームを先行させ、結果として自ら不幸に貶める人が多いのではないかと思うのです。
実はフィリピンは幸福度が高い国と言われるのです。裏を返せばフィリピンの人は自分たちの社会が当たり前だと思っており、先進国の状況がよくわかっていないため、「こんなものだ」と思っているのが半分、そして先ほども述べた通り、先のことを見通して物事を深く考えることがあまりないので、今現在幸せであれば良い、つまり将来を考えて絶望するということがあまりないのではないかと思うのです。今、ここにある小さな幸せを大事にしているということが半分なのではないでしょうか。
こんな感じで、日本の人々にはこのような国もあるということを知っていただき、自分を卑下するのではなくもっと前向きに生きてみたらいいのではないかと思うのです。いかがでしょうか。
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