海外にいると、日本のことを忘れるときがあります。昔はこうだったな、とか今の日本はどうなっているのかな、とか。でも一番日本のことを思い返すことができる瞬間が家族や友人が海外に住む私に会いに来てくれたときです。よくも悪くも日本にいたときのこと、私も今の友人みたいな考え方だったこと、などを振り返ることができます。
リクエストはパーフェクトに!
日本のものは感動する
日本から知り合いが来るなら、あれこれを買ってきてほしいというリクエストをよくします。家族はもちろん、友人にもお願いすることで、海外では高価なものや手に入らないものを久しぶりに楽しめるからです。日本のモノを手にしたとき、何とも言えない感情が湧いてきます。長い間食べていなかったけど確かに覚えている味、日本の品質、どれをとっても日本にいた頃は何も違和感を覚えずに手にしていたものを、海外では100倍も嬉しい気持ちで味わうことができます。
期待通りの抹茶
例えば、最近私に会いに来てくれた大学時代の友達に、抹茶を買ってきてほしいと頼みました。最近はミルクなどが混ざったものが人気ですが、なるべく純粋な抹茶や緑茶が良い、とだけ説明しました。彼がホテルに到着したというので、迎えに行くと、早速頼んだものを見せてくれました。なんと、一言説明しただけなのに私がほしかったもの完璧に買ってきてくれた!と思い大感激でした。日本人の感覚では、えっ、そのくらい普通じゃない?と思われるかもしれません。でも海外に住んでいると、頼んだことを完璧に理解して実行する人がどれだけいるでしょうか。なかなかいないんですよね。誰かのために何かしてくれる人ってそういないです。びっくりするくらい、日本人って頼れるんです。ちゃんと有言実行してくれることって、意外と世界的には珍しいことを学んできたので、実行してくれる人は本当に頼れる人だな、と信じられない思いになります。
行動が早い
さらに、日本人の友人にコーヒーカップを購入するようにお願いしました。購入希望のカップは3種類で、1種類目は指定のお店で買える同じもの。2と3種類目は今私が持っているカップになるべく近いデザインのものを購入することです。友人に出会う1か月前にお願いすると、なんとその週末にすぐにお店に行ってくれたのです。ビデオコールすることで、ほしいカップをすぐに見つけて、なんともスムーズに買い物してくれました。こんなに早く対応して、しかもスムーズに事が進むなんて、なんて日本人は信頼があって、仕事ができるんだろうと感動してしまいました。イタリア人に同じようなことを頼んだことがありますが、全くスムーズに対応してくれず、心配ばかりすることになりました。言葉だけの問題じゃないのは確かです。信頼性が断然高いのはやはり日本人です。
まじめさ
真剣に物事をとる
ある友人が遊びに来てくれたとき、昔の自分を思い出したことがありました。海外には、日本人ほどまじめな国民性の人はなかなかいないので、誰かと話していても、Maybeがほとんどです。夢のある話は多いし、冗談もたくさんあっておもしろいし、カジュアルで話しやすい人が多いですね。でもこの日本人の友人に会って色々な話しを聞いたときに、あ~やっぱり日本人は真剣に人生のこと考えすぎなんだなぁと実感しました。
スペイン人の彼女
彼は、スペインで1年間滞在したときにスペイン人の彼女ができたようですが、日本に一時帰国しなければならなかったので、5ヵ月間彼女にスペインで待ってもらって、またスペインに戻ろうと考えていました。しかしその5ヵ月の間にフラれたようで、真剣に考えていたスペインでの生活は泡のように突然消えてしまいました。よく話を聞くと、相手の家族にも会ったから関係は深くなったし、パートナービザ(マリエージビザのようなもの)を取得すればスペインに問題なく滞在することができるような話をしていたようです。もしかしたら昔の私なら、今彼のように悲しく寂しい時間を過ごしていたかもしれません。でも、海外で暮らしている身とすれば、スペイン人と6ヵ月付き合ったからといって、相手の家族に会ったからといって、彼女にとってはそれは何の意味も持たないということを彼は学ばなければいけないのです。外国人はその瞬間を楽しめれば良いという人が多く、日本人の感覚で真剣に話していたら、後で騙されたかのような気分になります。こういう点では、日本人は海外で気を付けなければいけないところです。
変わる視点
さらに、会社に勤務する話や、東京の家賃の話、こちらに遊びに来て見たものへの視点を聞いていると、私はすでにこちらに住んで数年経ったけど、日本から来た人にとっては、こういうふうに思うんだな、私も昔は同じような視点を持っていたなぁと、考えさせられました。
変化するものが生き残る
もう何年も触れていないものに突然触れると、なんだか逆カルチャーショックを受けます。日本に住んでいた頃は当たり前だったことが、今では当たり前ではなくなったことは、環境の変化に自分も変化している証拠です。良くも悪くも、その環境で生きていくには変化することでうまく暮らしていけるんですね。
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